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2008年01月18日

クレールフォンテーヌ特集7

2008年1月14日(月)の
http://www.fff.fr/actu/416588.shtml
を抜粋

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 フランスサッカー協会元会長、フェルナン=サストルのイニシアティヴで始まり、続くジャン=フルネ=ファヤー時代に完成し、クレールフォンテーヌのフットボールテクニカルセンターはイヴリン県で1988年1月4日にオープンした。フランスサッカーの財産とも言えるクレールフォンテーヌの歴史を20年経った今、当事者の思い出に沿って辿ってみよう。
 
 フットボールナショナルテクニカルセンタープロジェクトは公式には1972年に生まれた。当時の会長、フェルナン=サストルが協会理事会に提案し、フットボール発展に欠かせない全てのアクションを可能にする環境の必要性を説いた。書類作成グループが決めた1983年12月に計画を具体的に固めた。30箇所を検討した後、56ヘクタールの敷地で、モンジョワにある、クレールフォンテーヌ=オン=イヴリン、ランブイエから7kmの場所が見つかった。建築に関わった“ブラ、フェレ、メフル”らが工事を任され、1984年12月8日、フェルナン=サストルがシンボルとなる“最初の石”を置いた。大規模な森林伐採の後、1986年2月に工事が始まった。
 1985年から1995年までセンターディレクターを務めたジャン=フォレスティエは以下のように語る。“サストル会長のイニシアティヴに基づいて、環境計画に関わりながらプロジェクトグループに参加していました。クレールフォンテーヌの敷地を買い取り、建築許可書にサインし、私が関わった工事が1986年2月に開始されました。一番に思い出すことは、シャトーの中の吐き気を催すような匂いです。シャトーは長い間、使用されていなかったのです。経済面の目的は、ひとつのことを実現させてから他の様子を見る、ということでした。しかし、工事が進むにつれて、財政面がしっかり決まってきて、建築全体を実現することができたのです。つまり、INF、様々な宿舎、シャトー改修、レストラン、カフェテリアなどです。”
 
 1988年1月4日、日曜日、指導者ナショナル研修会によりセンターは正式にオープンした。ロベー=ヌザレ、ドミニック=キュペルリー、パトリック=ゴンファロンヌらが最初の26人の参加者にいた。オープンした日に、INFヴィシーから、10時ちょうどに3学年がやってきた。彼らのディレクターである、クロード=デュソーと共に生徒は新しい場所へやってきたのである。最初の一歩は最高学年の“3年生”にとって困難なものであった。彼らには6ヶ月の育成期間しか残されておらず、プロレベルの冒険を試みる前であった。“18歳の時、我々の習慣、我々の目印、我々の友人はヴィシーにありました。ショックのようなものを抱えて生活していました。ところが友人でもあるコーチ、クリスチアン=ダミアーノは我々にとって素晴らしい人で、パパのような存在でした。”そう語るのは、元ディフェンダーのパトリス=マルセイユーで、現在、ゲール県テクニカル指導員である。
 しかし、クレールフォンテーヌの歴史は続く。1988年1月23日、土曜日、フランス代表が初めてクレールフォンテーヌを使用した。2回のトレーニングとシャトーで一晩過ごした後、ルイス=フェルナンデズとパートナー達はテルアビブに向かった。その3日後にイスラエルで親善試合を行うためである。
 
 この年の5月15日、新しい施設は既に2230人とフランス代表の合宿2回を受け入れることができた。ジャン=フォレスティエは1988年1月23日のことを良く覚えている。“フランス代表到着前日に準備が終わったのです。現場で全て調達しました。実際に、協会がフランス代表を迎え入れたのは初めてだったのです。それまでは代表は決まったホテルに泊まっていたのです。セキュリティ面、プレス対応の問題もありました。80人以上ジャーナリストがいましたよ。幸運にも、フィリップ=トゥフノン、当時のプレスチーフが助けてくれました。CTNFSの全メンバーのためにね。本当に大変な一歩でしたよ。後で考えると、ルイス=フェルナンデズのことを思うと笑ってしまいます。彼はカーペットの上でタバコを踏み潰していましたから。カーペットは真新しくて、シャトーに初めて入ったときでしたよ。彼の部屋をもう一度きれいにしなきゃ、ってね!”
センターは1988年6月11日の土曜日、フランソワ=ミッテラン大統領とミッシェル=ロカー首相により、落成式を行った。それは、フランスカップ決勝、メッツ対ソショー戦の数時間前であった。
“このことで忙しかったのです。”ジャン=フォレスティエは回想する“フルネ=ファヤー氏が落成式のために政府にレターを書いてくれと私に頼んだのです。スポーツ省に出せば良いと思っていたのですが、直接大統領に書いて、しかも日取りの選択の余地はない、と彼は強調するのです。つまり、フランスカップ決勝の日ということです。”450人の招待客がおり、その日は一日中休むことはできなかった。“そうは言っても、素晴らしい思い出ですよ。”彼は強く言う“5時15分から待って、フランソワ=ミッテラン大統領は10時ごろヘリコプターで到着しました。シャトー前でプレートの除幕をやらねばならなかったのです。私は大統領を助けてあげねばなりませんでした。風のせいで、誰かがプレートに国旗を貼り付けてしまっていたからです!”
 他の思い出といえば、フルネ=ファヤー会長にオフィシエ=ド=オードルナショナル=デュ=メリット章が、フェルナン=サストルにレジオン=ド=ヌール勲章が贈られた時のこと。“勲章授与の際、ジャケットは何も付けていない状態なのですが、彼のブレザーはピンや他のメダルで一杯だったのです。我々はハサミを見つけなければならず、フルネ=ファヤー会長は躊躇しませんでした。全部切って、大統領の前で完全なジャケットを披露したのです。”
 試行期間の数ヶ月のことはさておき、クレールフォンテーヌは素早く機能するものに、そしてフランスフットボールの発展に不可欠になる。それは、フェルナン=サストルが望んでいたものであった。1990年に、クロード=デュソーディレクターとコーチ陣(アンドレ=メレル、フランシスコ=フィリオ)の指揮の下、INFが前育成にシフトした。それまでINFはヴィシーにおいて17年歳のトレーニングが続けられていた。クレールフォンテーヌで育てられた1期生は1992年に卒業した。彼らは2年間生活し、非常に良い思い出を持っている。
 “我々は非常に良いグランドに恵まれました。ガレットと呼んでいましたよ。我々の能力を開花させるために環境が整っていました。土日はパリ=サンジェルマンでプレーし、共同生活でまた新たな週をセンターの仲間と過ごすのがうれしかったですよ。指導者にも恵まれました。アンドレ=メレルと元ディレクターのクロード=デュソーです。彼らは、第2のパパ的存在でした。正直に、この2年間はテクニックが最も伸びた時でした。”ピエール=デュロックはそう回顧する。プロへと続いた最初の5人の生徒のうちの一人である。
 
 クレールフォンテーヌは、フランス代表と選手との深い関係にもあった。1998年フランスワールドカップ期間中は代表のベースキャンプ地でもあり、センターとシャトーは7月12日の日曜日後、成功のシンボル、フランスサポーターにとって巡礼の地となった。クレールフォンテーヌは発起人でもあり、その前月の6月に他界したその人の名前を取り、“フェルナン=サストル”ナショナルテクニカルセンターと命名された。
 
 育成に関して追求し続けるクレールフォンテーヌは、1998年の入学すぐにINFに相当する女子の機関を開始する。育成トレーニングナショナルセンター(以下CNFE)である。15歳の女子を集め、クリスチアン=コスト、ジェラー=プレシュー、フィリップ=ギヨトの下、未来の代表選手トレーニングが始まった。1期生には、ソニア=ボンパストー、ネリー=ギベー、アレクサンドラ=レイ、オダ=ラタッフ、ソニア=アジラジュらがいる。彼女は現在女子1部リーグのサン=ブリユーで選手兼コーチをしており、次のように回想する。“CNFEの開始は期待に答えたものでした。我々は、ダイナミックなグループで、35人のうち、15人程度が18歳以下代表でブルーノ=ビニと共に欧州選手権準優勝メンバーでした。このプロモーションに参加することは、フットボール選手としての目的でした。センターで過ごした日々によりテクニック面、フィジカル面が向上しました。良い思い出がたくさんあるし、グランドで再会するのはいつもうれしいですよ。”
 前育成にかかわるINF、女子におけるCNFEの素晴らしい結果はクレールフォンテーヌを長い間国際的なものにしている。クレールフォンテーヌではナショナルコーチがユース代表のトレーニングを行い、指導者ライセンス講習会(国家免許、フットボールコーチ免許、育成者免許など)を長い時間かけて日々行っている。たくさんの外国の方々が自分達の育成者を要請するためにクレールフォンテーヌへ送り、彼らはこの方法やオーガナイズにインスピレーションを得るのである。“クレールフォンテーヌはフランスフットボールの窓なのです。”1998年11月からセンターディレクターのジル=ボックは語る。“たくさんの人が我々の施設を見に来て、インスピレーションを得て、彼ら自身の施設を創り出しています。外国の育成関係者もためらわずにシーズン前やシーズン中にここに来ます。クオリティーが高いということです。”
 他から先行している時間とパフォーマンスレベルを保持していくために、クレールフォンテーヌは常に好奇心に溢れ、未来に向かって進まなくてはならない。2006年から、新しいメディカルセンターがオープンし、INF、CNFE、代表選手のメディカル、フィジカル面の研究を行うことができる。リハビリセンターもあり、ジャン=アラン=ブムソングのように、数人の選手がここで最終調整を行った。
 クレールフォンテーヌは、つまり、発展を続け、近代的な計画もすでにある。ジル=ボックが正確に答える。“常に戦える状況でいるために、未来に向かって進み、常に好奇心を持たねばなりません。ここ2年で大規模な工事を行いました。しかし、まだ他の工事が残っています。女子A代表、ユース代表を迎える宿泊棟、研修館1、2が改修されるでしょう”こういった努力のお陰でクレールフォンテーヌはフランスフットボールや海外のモデルとなりえているのである。
 
クレールフォンテーヌにまつわる数字
 
• パリの南西50km
• 常時60人が勤務
• 敷地面積56ヘクタール
• 芝地帯66 000 m².
• 16 ロッカールーム
• 天然芝7面うち照明、スタンド、ロッカールーム付き天然芝1面
• 照明付き人工芝2面、屋根、照明付き人工芝1面 (50 x 80 m)
• 1 体育館 (44 x 24 m).
• 1 トレーニング、サウナルーム
• 森の中に健康ランニングコース1つ
• テニスコート3面
• 一日400食、150食(恒例行事用)
• 302 ベッド
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1987-1988シーズン INF3年生
チームはクリスチアン=ダミアーノに率いられ、3部リーグに所属。1988年ガンバルデラカップ優勝写真
後列左から:Guillaume Warmuz (2年生) - Stéphane Adam - Emmanuel Hutteau - Gilles Beaumian - Christian Damiano (コーチ) - Sébastien Hizy - Réginald Ray - Philippe Augé - Bruno Clément
前列左から:David Bellime - Eddy Boncoeur - Roland Piselli - Eugène Ce Ougna - David Robert - Bruno Bergamelli - Philippe Rannou - Dominique Ottato - Patrice Marseillou
 
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センター落成式
1988年6月11日、土曜日 センター落成式 壇上にはフランソワ=ミッテラン大統領
 
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大統領がジャン=フルネ=ファヤー フランスサッカー協会会長にオフィシエ=ドゥ=ロードル=ナショナル=デュ=メリテ勲章を授与
 
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フランソワ=ミッテランが続いてレジオン=ドヌール勲章を、ナショナルセンター創設の発起人、フェルナン=サストル フランスサッカー協会元会長に授与
 
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二人の会長:ジャン=フルネ=ファヤーとフェルナン=サストル
 
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メディカルセンター落成式
2007年5月31日 土曜日ジャン=ピエール=エスカレット会長をリネアー、ペティトドクターらが囲む

2008年01月17日

クレールフォンテーヌ特集6

2008年1月16日の
http://www.fff.fr/actu/418646.shtml
を抜粋
 
1988年、ヴィシーからクレールフォンテーヌへ移転し、INFは1989年から前育成に特化し、3年をここで過ごした彼ら15期生までが卒業して行った。ここクレールフォンテーヌでキャリアをスタートさせ、プロになった選手を見てみよう。
 
1期生 (1992年6月卒業)
•Pierre Ducrocq (RC Strasbourg)
•Benjamin Nivet (Troyes)
•Johan Radet(引退)
•David Recorbet (クラブなし)
•Grégory Tafforeau (Lille)
 
2期生 (1994年6月卒業)
•Franck Busuttil (引退)
•Yann Dobo (Créteil)
•William Gallas (Arsenal FC,イングランド)
•Thierry Henry (Barcelone,スペイン)
•Thibault Maqua (指導者)
•Jérôme Rothen (Paris-SG)
•Rémi Savejong (Nicollin Montpellier, 企業団)
•Eric Sitruk (Stade Brestois)
 
3期生 (1995年6月卒業)
•Nicolas Anelka (Chelsea FC,イングランド)
•Philippe Christanval (Fulham FC,イングランド)
•Yves Deroff (EA Guingamp)
•Gérard Gnanhouan (Montpellier HSC)
•Sébastien Piocelle (Grosseto, D2 イタリア)
•Grégory Proment (SM Caen)
•Louis Saha (Manchester United, イングランド)
•Kissima Alioune Touré (Leiria, ポルトガル)
•Michaël Pizzo (Poissy)
 
4期生 (1996年6月卒業)
•Vincent Carlier (Angers SCO)
•Fabrice Fernandes (Dinamo Bucarest, ルーマニア)
•Stéphane Gonçalves (引退)
•Clément Vigier (Pau FC)
•Loïc Vincent (Stade Lavallois)
 
5期生 (1997年6月卒業)
•Benoît Croissant (Al-Najma Club, バーレーン)
•Damien Deom (Choisy, CFA2)
•Nicolas Fabiano (引退)
•Guillaume Gauclin (EA Guingamp)
•Gaël Hiroux (Arménienne, CFA2)
•Jonathan Joseph-Augustin (Roulers, ベルギー)
•Sébastien Mazurier (Dudelange, ルクセンブルグ)
•Alexis Rouquette (Compiègne, CFA)
 
6期生(1998年6月卒業)
•Habib Bamogo (OGC Nice)
•Selim Ben Achour (Rubin Kazan, ロシア)
•Kemal Bourhani (Lorient)
•Jean-Félix Dorothée (Mouscron, ベルギー)
•Kévin Hatchi (Tours FC)
•Jean-Arnaud Loseille (中断)
•Lionel Mathis (FC Sochaux)
•Kévin Pelé (EA Guingamp)
 
7期生 (1999年6月卒業)
•Jérémy Aliadière (Middlesbrough, イングランド)
•Maxime Baca (Le Havre)
•Jean-Michel Badiane (Sedan)
•Franck Béria (Lille)
•Yannick Blanchard (Villemomble)
•Garry Franchi (Orléans, CFA)
•Steven Joseph-Reinette (AS Cisco, イタリア)
•Reynald Lemaître (SM Caen)
 
8期生(2000年6月卒業)
•Nabil Berkak (Troyes)
•Jean Calvé (Le Mans)
•Jacques Faty (Olympique de Marseille)
•Luigi Glombard (Grenoble Foot)
•Baptiste Ibrahim (Ponte Vedra, D3 スペイン)
•Mourad Meghni (Lazio Rome)
•Damien Perquis (Sochaux)
•Ludovic Sylvestre (Sparta Prague, チェコ)
 
9期生(2001年6月卒業)
•Jimmy Briand (Stade Rennais)
•Jonathan Bru (Istres)
•Nicolas Cousin (SCO Angers)
•Yoann Folly (Sheffield Wednesday, D2 イングランド)
•Rudy Haddad (Maccabi Tel-Aviv, イスラエル)
•Cédric Kissamba (Stade Lavallois)
•Nicolas Maurice-Bellay (Sochaux)
•Guillaume Rippert (Valenciennes)
 
10期生(2002年6月卒業)
•Sébastien Bassong (Metz)
•Habib Bellaïd (Strasbourg)
•Hatem Ben Arfa (Olympique Lyonnais)
•Abdelak Boutasgount (Most, チェコ)
•Garra Dembele (AGF Arhus, デンマーク)
•Vasiriki Abou Diaby (Arsenal,イングランド)
•Ricardo Faty (Bayer Leverkusen,ドイツ)
•Geoffrey Jourdren (Montpellier HSC)
•Olivier Nsiabamfumu (Ascoli, イタリア)
•Alexandre Raineau (SM Caen)
•Jonathan Tokple (クラブなし)
 
11期生( 2003年6月卒業)
•Quentin Westberg (Troyes)
•Medhi Benatia (Lorient)
•Issiar Dia (AS Nancy)
•Mohamed Diame (中断)
•Blaise Matuidi (Saint-Etienne)
•Chris Makiese (Lille)
•Jonathan Perez (Troyes)
•Oumar Sissoko (Metz)
•Jérémy Taravel (Lille)
 
12期生(2004年6月卒業)
•Steven Thicot (FC Nantes)
•Yannick Boli (Paris-SG)
•Kévin Bru (Stade Rennais)
•Jirès Ekoko (Stade Rennais)
•Harold Goulon (Middlesbrough, イングランド)
•Lynel Kitambala (Auxerre)
•Kévin Olimpa (Bordeaux)
 
13期生(2005年6月卒業)
•Gabriel Obertan (Bordeaux)
 
14期生(2006年6月卒業)
•Badis Lebbihi (Lille)

2008年01月15日

クレールフォンテーヌ特集5

 そして、クロード=デュソー。彼によって日本サッカー育成界に大きな変化がもたらされている。彼のトレーニングやコーチングを体験できない人は、彼が育てたプレーヤーを見れば、全てではないが、育成哲学、方法が具体的に見えてくる。最近の若手では、チャンピオンズリーグでも活躍中のアテム=ベナファ(リヨン)、アブ=ディアビ(アーセナル:アーセン=ヴェンゲルがパトリック=ヴィエラの変わりに補強したことで有名)らが日本のTVで見ることができる。フランスをはじめ、世界のトップ10で活躍する選手を数多く育ててきたという点、世界と日本の差をサッカー先進国の視点から明確に見えているという点、日本人の特長を活かした世界と戦うためのフットボールイメージ(攻撃はアルゼンチンを、守備では2002年ワールドカップの韓国代表)を具体的に持っている点がデュソー氏の素晴らしさである。
 
 皆様には周知のことであるが、このダイアリーで彼のエクササイズにおけるコーチングのポイント(ゲームも含めて)を紹介している。何をどのタイミングでどこでどのように強調し、修正しているのか、を。例えば、いつ、どうやってマークを外すのか、どのタイミングでスタートしてボールを要求するのか、ワンツーの使い方、ゲーム緩急のつけ方、ブロック形成における守備のポジション、予測など(詳しくは過去のダイアリー参照)。クレールフォンテーヌ出身のフォワード(アンリ、アネルカ、サハなど)はこれらを体得し、得点を量産している。ちなみに、現在ディフェンダーで活躍しているウィリアム=ギャラスはクレールフォンテーヌで当初はフォワードだった。
 
以下は2008年1月15日火曜日
http://www.fff.fr/actu/417679.shtml
の抜粋
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1988年1月4日 日曜日、フェルナン=サストル 国立テクニカルセンターが公式オープン。その後、INFヴィシーの3学年のプレーヤーがやってきた。元ディレクターのクロード=デュソーがINFクレールフォンテーヌの環境にまつわる思い出を語ってくれた。(写真:1998年、ワールドカップトロフィーを囲んで、左からフランシスコ=フィリオ、エメ=ジャケ、クロード=デュソー、アンドレ=メレル)
 
20年前に遡って、ヴィシーからクレールフォンテーヌへの移転はどうでしたか?
 
どこでもある引越しのように、目印が必要でしたよ。当初は、わからないことだらけでした。ただ、そこに行くことはうれしかったですよ。我々は遅れて行きましたから。ところが、フランス代表はすぐに行きましたね(イスラエル 対 フランスの準備で)。オーガナイズするための全てがありましたよ。それから、お互いを知るということも大事でした。最も戸惑ったのは、ヴィシーで既に2年間過ごしていた“3年生”です。慣れていた街を離れて、もっと人里離れたCTNFSに来たわけですからね。ただ、パリから45分しか離れていないのですが。
 
あなたの優先事項は何でしたか?
 
我々は特に後から突然やって来るであろうこと、育成から前育成への移行をどのように行うことができるか、について考えていました。先輩と新入生が同居する時期が来ますからね。それから、生徒の年齢に応じて2つのアプローチが必要でした。生徒との試行錯誤の結果、全てうまくいきました。
 
生徒との関係はどういったものでしたか?
 
INFディレクターで、総務でした。しかし、グラウンドにも帰ってきました(アンドレ=メレル、フランシスコ=フィリオのようにコーチとして)。経過と共に、生徒と強いつながりができていきました。おそらくたくさんの生徒がINFでの生活を心に刻んでいるのでしょう。それがわかるのは、彼らが指導者ライセンスを取るためにクレールフォンテーヌに戻ってくる時です。
 
注:クロード=デュソーは4月に日本に飛び立つ。日本で彼はJFAアカデミー福島の育成を続ける。
 
以下は少し古いのであるが、JFAアカデミー福島をフランスサッカー協会が写真つきで伝えてくれた記事である。
 
2006年11月27日月曜日の
http://www.fff.fr/formation/joueurs/342282.shtml
を抜粋
 
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INFクレールフォンテーヌの元ディレクターは、育成年代に身を捧げ、1997年から日本代表の合宿所となっているJヴィレッジの近くで、JFAアカデミー福島とコラボレーションしながら働く。
 
クロード、どういったいきさつで日本に行くことになったのですか?
 
日本サッカー協会がフットボールアカデミーを創設することを決めました。その原則や方法はINFに非常に近いです。私に声がかかった時、それを受け入れました。なぜなら、退職してフリーだったからです。それまでに日本ではすでにクラブレベルでも関わっていました。他にも、外国で言えば、ベナン、チュニジア、イスラエルで仕事をしたことがあります。
 
あなたの役割は何でしょうか?
 
INF顧問としてのオブサーバーです。フットボールアカデミーの1期生に関わります。アドバイスをし、同時に島田コーチのサポートをします。私はフランス語ですが、通訳を介して仕事をしています。
 
クレールフォンテーヌと比較できますか?
 
1期生は16人で、年齢はINFと同じ区切り方です。プロになりたい、プロチームの育成センターに入りたいと全員が野望を持っています。彼らはINFの子供達と同じ夢、希望、元気強さを持って生活しています。2002年ワールドカップによって生じた熱意は衰えることがありません。いつもスタジアムが満員になるのを見て驚いています。
 
INFとの大きな違いは何ですか?
 
この機関はナショナル単位です。子ども達は、全国公募で選ばれ、地元に頻繁には帰りません。しかしながら、我々がフランスで得た経験では、子ども達は自分の家族との定期的なコンタクトが必要でした。
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2008年01月12日

クレールフォンテーヌ特集4

2008年1月10日木曜日の
http://www.fff.fr/actu/417455.shtml
を抜粋
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ジェラー=ウイエ技術委員長(写真)がクレールフォンテーヌで語った。彼は、20年前の1988年1月初旬、クレールフォンテーヌの門を開いた。“フィロゾフィーである。トレーニング場よりも。”と表現し、基礎を築いた。
 
あなたの意見では、クレールフォンテーヌとは何でしょうか?
 
私にとって、クレールフォンテーヌは要でした。あるヴィジョン、フィロゾフィーを創りだし、統合する場でした。そこで指導者研修を行い、代表を集めることもできました。それはフランス代表の宿泊施設でした。1988年時点では今のように重要になるとは考えもしませんでした。その10年後ワールドカップで我々は優勝したのです。ユースとA代表で勝ち取った数々のトロフィーを見てください。クレールフォンテーヌは他国よりもずっと前進することを可能にしたのです。クレールフォンテーヌを築き、改修するために尽力した指導者に敬意を表する必要があります。それは、フェルナン=サストル、ジャン=フルネ=ファヤー、クロード=シモーネ、ジャン=ピエール=エスカレットにです。
 
我々がクレールフォンテーヌと言う時、素晴らしいトレーニング施設を考えますが。
 
トレーニング場というよりも、大切なのはフィロゾフィー、気風です。2週間見てみてください。ユース、A代表、指導者研修などを。私にとって、これらはシンボルなのです。こういったものがトレーニングし向上するのを可能にしているのです。前育成(13~15歳)は非常に重要です。この年代は常に追求していく研究所なのです。さらに、クレールフォンテーヌは海外から研修に来るコーチたちとの交流の場でもあります。
 
クレールフォンテーヌは養成するだけでなく、治療も行うと思うのですが。
 
そうです。メディカル面も前進しなくてはなりません。クレールフォンテーヌは怪我をした選手にとって素晴らしいリハビリテーションの場なのです。
 
訳:樋渡 群

2008年01月11日

クレールフォンテーヌ特集3

2008年1月10日金曜日の
http://www.fff.fr/actu/417401.shtml
を抜粋
 
2008年1月、クレールフォンテーヌ(正式名称:フェルナン=サストル 国立テクニカルセンター)が20周年を迎えた。公式オープンは1988年1月4日であるが、1986年3月3日に工事が開始された。以下の幾つかの写真でクレールフォンテーヌの歴史を発見しよう。
 
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事務所の建築
 
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事務所を建てるために、森を伐採しなければならなかった。
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完成。ガラス張りの建物は、 “ミッシェル=プラティニ”グラウンドの後方部に面している。グランドは建物の裏側を下ったところにある。
 
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いたるところから集る研修生を迎え入れるために宿泊棟が建てられた。ここは、“2番館”と呼ばれる。
 
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この建物は現在カフェテリアが入っている。
 
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工事と開墾により、テニスコートが完成。
 
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フランス代表宿泊棟は週末、乗馬を練習する人々により使われていた。
 
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シャトーもいくつかの補修を行った。
 
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2階部分が完全に改修。
 
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現在、フランス代表を迎え入れる場所。イスラエル遠征に行く前の1988年1月23日にフランス代表が初めて使用した。
 
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クレールフォンテーヌの下った所にある屋根付きグラウンドが建てられた。
 
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この建物にはフットサル、トレーニングルーム用体育館が入る。
 
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屋根付きグラウンド完成。
 
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クレールフォンテーヌは1990年からINFにおける前育成選手も受け入れた。ひとつの宿泊棟が全て彼ら専用である。
 
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レストラン建築中。
 
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レストランは日々ここで働く者の生活場所。
 
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“ミッシェル=プラティニ”グラウンドは大規模な土木作業を必要とした。
 
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現在“ピバロ”を伴った2番目の天然芝グラウンド。イヴリン県の高いところにある。
 
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上空写真。右側のシャトーは工事中、中央が事務所、そして屋根付きと“ミッシェル=プラティニ”グラウンド。
 
訳:樋渡 群

2008年01月10日

クレールフォンテーヌ特集2

2008年1月9日水曜日の
http://www.fff.fr/actu/417256.shtml
を抜粋
 
この1月に、フェルナン=サストル国立テクニカルセンターは20周年になる。ここで過ごした様々な人物を通してクレールフォンテーヌの歴史を振り返ってみる。今日は、ピエール=デュクロック(写真)に話してもらった。RCストラスブールのミッドフィルダーで、クレールフォンテーヌINF前育成の1期生(1990年から1992年)。
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ピエール、CTNFSの前育成1期生だったわけですが、何を覚えていますか?
 
1990年に入学したのですが、INFが育成から前育成へ変わったときでした。素晴らしい思い出がありますよ。“ガレット”と呼んでいた素晴らしいグランドを使わせてもらいました。環境は我々の能力を開花させるために整っていました。さらに、どんな気候条件でもトレーニングできるように屋根付きグラウンドもすでにありました。本当に楽しくて仕方がなかった。学校から帰るとすぐに、スクールかばんを投げ出し、できるだけはやくプレーするために着替えていましたよ。
 
1期生はクレールフォンテーヌにおけるINFのパイオニアです。年を経るごとにこのように重要性を増してくると思っていましたか?
 
まったくですね。12歳の時、そんなことは全く考えませんよ。その時を有効に過ごそうと考える程度です。2年間は非常に早く過ぎていきました。しかし、我々に続く世代を見たときに、この素晴らしいファミリーの一員であることに感動するばかりです。確かなことは、もし明日もう一度繰り返すなら、私は喜んで再開します。思い出が良いですからね。
 
同期生との間でできたつながりは今でもありますか?
 
最近、バンジャマン=ニヴェに再会しましたよ。そういうのはいつも嬉しいですね。ジョアン=ラデやプロになれなかった他の者にも会いましたよ。2年目のことも覚えています。ティエリ=アンリ、ウィリアム=ギャラス、ジェローム=ローテンらを代表する若い選手と一緒にトレーニングしました。彼らの進んだ道を見てみると、素晴らしいですよね。
 
フットボール面でやはり素晴らしい時間でしたか?
 
全くその通りです。システムもうまく行っていましたよ。平日はCTNFSでトレーニングし、週末は地元クラブに帰ります。トレーニングでは、試合の指示はありませんでした。本当に楽しかったですよ。トレーニングは個人に特化され、最適な条件で上達することができました。土日はパリ=サンジェルマンでプレーし、共同生活でまた新たな週をセンターの仲間と過ごすのがうれしかったですよ。指導者にも恵まれました。アンドレ=メレルと元ディレクターのクロード=デュソーです。彼らは、第2のパパ的存在でした。正直に、この2年間はテクニックが最も伸びた時でした。すべてのトレーニングがこの方向性で行われていました。
 
その当時、あなた方のアイドルに近づくこともできたのではないですか?
 
そうですね。パパン、ペレス、ボリ、ジノラの世代でしたね。大きく目を開いて彼らを見ていましたよ。彼らはよくシャトーの前でペタンクをやっていましたね。彼らはいつも我々に対して優しい言葉をかけてくれました。それもクレールフォンテーヌにいたからこそ恵まれた時間ですね。
 
INFの現世代に注意はしていますか?
 
いつも選手の経歴書に目を通しています。INFが経歴書に書いてあれば、彼が上手いプレーをするのはわかります。最近、アテム=ベナファ(1987年3月7日生まれ、他のものよりも1歳若くしてクレールフォンテーヌに入学し、1999年8月から2002年6月までクロード=デュソーの指導を受ける、現在はリヨンでプレー、A代表にも選ばれている)みたいなプレーヤーを何人かまた見ましたよ。彼はセンターを卒業する時には上手かったので当たり前ですがね(笑)。こういったことは終わらないでしょう。もうすぐ他の選手がここから出てくると思いますよ。
 
経歴
•INF (1990-1992)
•Paris-SG (1992-1996)
•Laval (1996-1997)
•Paris-SG (1997-2002)
•Derby County (イギリス, 2002)
•Le Havre (2002-2007)
•RC Strasbourg ( 2007~)
 
タイトル
フランスカップ優勝 1998年(Paris-SG)
リーグカップ優勝 1998年(Paris-SG)
リーグカップ準優勝 2000年(Paris-SG)
 
訳:樋渡 群

2008年01月09日

祝 クレールフォンテーヌ20周年!!クレールフォンテーヌ特集1

われわれJFAアカデミー福島が模範としている学校、いわずと知れたクレールフォンテーヌにあるINF(フットボール国立学校:現在フランスに11校ある)が、2008年1月4日にオープン20年を迎えた。そこで、クレールフォンテーヌの歴史をフランスサッカー協会のサイトを参考にして紹介する。
 
以下2008年1月8日火曜日の
http://www.fff.fr/actu/416743.shtml
を抜粋
 
フェルナン=サストル国立テクニカルセンターがオープンしたのが20年前、ジレ=コンボ=エココ(写真)は今日20歳の誕生日を迎えた。このレンヌの若きフォワードは2001年から2004年6月までINFの12期生としてクレールフォンテーヌで過ごした。今シーズンUEFAカップに出場した彼が前育成時代の重要性を話してくれた。CTNFS20周年のトップバッターを飾ってもらう。
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ジレ、クレールフォンテーヌ時代で覚えていることは何ですか?
 
良い思い出しかないです。フットボールだけを考え、全てを捧げた所で、アンドレ=メレルコーチにたくさんのことを教わりました。彼はいつも正確なアドバイスをくれて僕のことを信頼してくれました。クレールフォンテーヌは素晴らしい選手達とも出会える場所で、ジダンやアンリが来た時は、彼らに会いに行くのは僕らが最初で、自分のユニフォームにサインしてもらいました。それから、レンヌでシルヴァン=ウィルトールに再会することができました。
 
どういった経緯でINFに入ったのですか?
 
ボンディーというクラブでミッドフィルダーとして始めて、INFのセレクションを受けました。すぐにアンドレ=メレルコーチと良い関係になりました。彼が僕をセンターフォワードとして使ってくれました。それでも、ミッドフィルダーとセンターフォワードを行ったり来たりしていましたが。今は、長所がプレーの速さなのですが、有酸素能力とヘディングを高めていかなくてはなりません。
 
前育成時代を思い出すことはありますか?
 
レンヌでは、クレールフォンテーヌで一緒だった仲間が2人います。INFに入ったときは、ジミー=ブリオンが既にいましたし、ケヴィン=ブリュ(1月4日金曜日にシャトールーにレンタルされた)は同期生(2004年6月卒業)です。
 
20歳になった年をどのように過ごしたいですか?
 
良い道を進むために健康であることです。僕はかなりやる気がありますから。怪我から回復しているところですが、シーズンをうまく始めることができました。かなり定期的に(UEFAカップに3試合、リーグ1に3試合)出られています。フィジカルに関しては、コーチが(ピエール=ドレオッシーからギ=ラコンブに)変わったので、復帰するのに時間が必要でした。
 
訳:樋渡 群

2008年01月08日

初蹴り

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 全員でランニングして、楢葉八幡神社へお参りに行った。厳かに美しく祈る。
 その後寮に戻りスパイクに履き替える。待ちに待った初蹴り。2007年の蹴り収め同様のミニゲーム大会。チームは違えど昨年のリベンジに燃える者は静かに闘志を見せる。公式戦程ではないにしても、かなり本気。あちこちから「まずは守備からだぞ!」「ブロックをつくれ!」「寄せろ!」「カヴァーリング!」と子ども達自身で声を掛け合い、組織的に守備をしていた。もちろん、まだまだ完璧とはいえない。寄せるのが遅かったり、危険なゾーンでフリーシュートをうたれたり、パスコースを消すためのポジション移動ができていなかったりとさまざま問題はある。ただし、言葉と行動が理解ベースでリンクしていることに成果が見える。ゲーム中における絶え間ないコーチングのお陰であろう。躾はまだまだ続く。
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文:樋渡 群

2008年01月07日

2008年スタート

皆様
 
明けましておめでとうございます。
今年もダイアリーをよろしくお願いいたします。
 
皆が良い表情で戻ってきた。最も愛する家族と過ごし心身ともに十分にリフレッシュされたようだ。夕食後、選手の部屋をのぞいてみると冬休みの宿題が机の上に置かれていた。美しく書かれているので素直に褒めると、そうでもないと皆一様に否定する。理想が高いのかただ謙遜しているのか。しかし、きちんと写真には納まろうとするのでまんざらでもないのであろう。1年生はどうか。
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「天然の美」。フレーズが良いではないか。この時点で私はすでに自然の美しさと子ども達の純粋さを重ね合わせ感慨に浸る。年をとったのかな。それぞれの作品を見ると、これまた気持ちがよく込められている。専門家は字だけをみて評価するのであろうが、私はどうしても書いた人の「人となり」も含めてしまう。文字の背景に生きてきた過程を重ね合わせると、全ての作品に味が出ている、としか言えない。来年また同じ字を書いても全く違うものになるに相違ない。
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文:樋渡 群

2008年01月01日

新年のご挨拶

 あけましておめでとうございます。
 JFAアカデミーが立ち上がって 2年目が過ぎようとしています。
 最初の1年目から、新しいものに挑戦し、作り上げていくというステップは継続しています。しかし、必ずしも、簡単に進んでいくものではありません。中学2年生年代の難しさ。子ども達の健全な心身の発育発達から考えると当然のことかもしれませんが、男女ともどもいろいろな問題があったのも事実です。しかし、このような問題を一つ一つ越えていくことがこのJFAアカデミーの将来の成功につながっていくと信じています。スタッフ一同、全力でさまざまな問題に取り組んでまいります。
 そして、2年目に入り、JFAアカデミーの中だけの問題ではなく、アカデミーで行っていることを外へ発信するという役割が大きく躍進しました。中学1年、2年生年代の指導というのは、従来どうしても中学3年と同じ内容で考えられていました。また、そうでない場合は、球拾いや、体力アップということを目的としたボールを使わない練習が多かったところもあります。ここでは、JFAアカデミーで掲げているこの年代の3つの要素、1)技術を定着させる、2)持久力のアップ、3)判断力へのアプローチ、これらを徹底して行ってきました。そしてそれを全国の指導者に広げることによって、日本全体のレベルアップにつなげたいと考えています。JFAアカデミーは、この中だけで完結し、そしてここにいる子ども達だけを成長させる目的で始めたのではありません。ここで理想となる指導を展開し、そしてそれを日本中に広めることで日本全体のレベルアップを図っていきたいと考えています。その最初のステップがこの2年目に軌道に乗り始めました。今後もよりしっかりと発信していきたいと考えています。
 さて、2008年は、女子は全学年がそろいます。男子も中学3学年がそろい、JFAアカデミーの次の段階に進む重要な年となります。女子ははじめての進路指導を行う必要が出てきており、それぞれの希望に合った進路指導をしていくつもりです。男子は高校1年生を一つの区切りと考えていますが、中学・高校をつなぐ大事な時期となり、これも中1・中2の新たな指導と同じように、日本サッカー界に発信することを始めていきたいと考えています。選手はもちろん、コーチングスタッフのみならず、厨房の方、洗濯をしてくださる方をはじめとする全てのスタッフと、このJFAアカデミーの成功に向けて今年もがんばっていきたいと考えています。またご指導いただけるよう、お願いいたします。
 皆さんのご健康とご活躍を心からお祈りいたします。
 
2008年度、新たなスタートに向けて
 
JFAアカデミースクールマスター   田嶋 幸三

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